2026年度日本数学会賞春季賞
2026年度日本数学会賞春季賞
日下部佑太(九州大学大学院数理学研究院)
岡多様体の新しい特徴付けと高次元球外部の岡性
岡多様体の理論は,多変数関数論の開拓者である岡潔によるクザンII問題の解決に端を発する.大きくは多変数関数論に属するこの分野において,複素多様体 𝑌 が岡多様体であるとは,シュタイン空間から 𝑌 への正則写像に関する ‘岡の原理’ が成立することを意味する.具体的には,シュタイン空間を定義域とする正則写像の近似・拡張問題において,連続な解が存在するならば,それをホモトピーによって正則な解へと変形できるという,極めて強い柔軟性を有する多様体を指す.1980年代にGromovはこの理論に幾何学的視点を導入し,‘楕円性 (ellipticity)’ という画期的概念を提唱した.日下部氏は,ある種の正則ベクトル束からの沈め込みを許すという幾何学的条件 (楕円性) を満たす複素多様体が,常に岡多様体となることを証明した.さらに,複素多様体がシュタイン多様体である場合には,その逆,すなわち岡多様体であれば楕円的であることも成立することを示した.これを受けてGromovは,シュタインとは限らない一般の複素多様体についてもこの逆が成り立つか,すなわち ‘すべての岡多様体は楕円的か’ という問題を提起した.この問いは,岡多様体の本質的特徴付けに関わる重要な未解決問題として,長年にわたり多くの論文や専門書で言及されてきた.
日下部氏は,このGromovの問題に対し,全く新しい視点からアプローチし,決定的な成果を挙げた.まず日下部氏は,岡多様体の定義を幾何学的に捉え直す上で,Gromovがかつて導入していた ‘Ell1 条件’ に着目した.そして,この Ell1 条件が岡多様体を完全に特徴付けることを示す極めて重要な定理を証明した.この結果を基盤として,日下部氏は,複素多様体が岡的なザリスキー開集合によって被覆されていれば,多様体全体も岡多様体となることを示す強力な ‘局所化原理’ を確立した.これにより,従来は直接の検証が困難であった複素多様体の岡性を,局所的性質から判定する道が初めて開かれた.実際,日下部氏はこの原理を用いて,楕円的ではないにもかかわらず岡多様体である具体例を初めて構成し,Gromovの問題に否定的解答を与えた.さらに日下部氏は,‘2次元以上の複素アフィン空間において,コンパクト凸集合の補集合 (例えば閉球の外部) が岡多様体であるか’ という,この分野で最も著名な未解決問題を肯定的に解決した.この問題が長年困難であったのは,このような基本的領域に対してさえ,既存の岡性判定手法が適用できなかったためである.日下部氏は,自身の Ell1 特徴付けを基盤に,問題を ‘正則に変動するFatou–Bieberbach領域’ の構成へと帰着させ,多変数複素力学系の高度な手法を融合させることで,このような領域を構成した.この成果は,2次元以上の複素アフィン空間における閉球外部という基本的な領域の構造を鮮明に描き出すものであり,当該分野の第一人者からも極めて高い評価を受けている.
以上のように,日下部氏は,岡多様体理論に対し,Gromov以来知られていなかった革新的な新しい特徴付けを与えることで,‘高次元球外部の岡性’ をはじめとする数々の未解決問題を解決した.その業績は多変数関数論の発展に極めて顕著な貢献をなすものであり,日本数学会賞春季賞に相応しい卓越した研究成果である.
日本数学会
理事長 石毛 和弘
一般社団法人 日本数学会